変な日本語に関するfacebookへのエントリーに関して、僕の主張をまとめておきます。長くなったらゴメンナサイ。
まず、言葉の好き嫌いはそれぞれあると思います。好きか嫌いかは個人の好みという主観の問題なので、ここでは扱いません。また、辞書に載っているかどうかも、あまり関係ないという立場を取らせて頂きます。同時に、あまり使われない、と言う事も扱いません。あくまで、文法的に正しいかどうか、という事を問いかけたいのです。
例えば、「全然美味しい」という使い方をする人がいます。これは、「全然」+否定という、我々が長く親しんだ言葉とは違っています。しかしながら、副詞と形容詞の組み合わせなので、文法的にはおかしくありません。ちなみに、江戸時代より前には「全然」+肯定系は、よく使われていたそうです(伝聞)。
「良さげ」に付いては、普通の日本語だと認識しています。「何気に」は「何気なく」の誤用が一般化したモノだと考えますので、あまりおススメは出来ませんが、「何気ない」の語幹の名詞化されたものに、格助詞「に」が引っ付いて副詞化したと考えれば、問題ないとも言えます。
「とりま」なんて略語? あたしゃ知りませんw
【本日のお題その1・みたく】
「みたく」という新しい言葉を考えついたとすれば、それはそれで言葉の発展かもしれません。元は「みたいだ」という助動詞です。助動詞ですが、高校受験や大学受験の参考書や教科書の助動詞一覧には載っていません。「やがる」「べきだ」なんて助動詞も載っていませんので、教科書なんてそんなもんなんでしょう。
さて「みたいだ」ですが、言葉の活用形としては形容動詞と全く同じ活用をします。なので、「みたいだ」を形容動詞として捉えても問題ないかと思います。
この際、形容動詞と言う事にしておきます。
「みたいだろう」
「みたいだった」
「みたいで」
「みたいに」
「みたいだ」
「みたいな」
「みたいなら」
覚えてますか、この活用形。
ここに、「みたく」という新しい活用形を追加した人々がいるわけですね。素晴らしい。
日本語の素晴らしき進化の時が来たのです!!
ならば、「静かだ」という形容動詞を考えてみると・・・
「静かだろう」
「静かだった」
「静かで」
「静かに」
「静かだ」
「静かな」
「静かなら」
ココにも追加して下さいよ。
「静かく」ですか?
「静く」ですか?
できませんよね。
「みたく」という言葉を最初に使った人が誰だかは知りませんが、その人は、「みたい」という言葉を形容詞と勘違いしたのでしょう。
「正しかった」
「正しかろう」
「正しく」
「正しい」
「正しい」
「正しければ」
形容詞の連用形は「〜く」です。
「〜みたく」が形容詞の連体形として考えているのであれば、「〜みたく」は天晴です。大いに認めましょう。
その代わり、形容詞なら形容詞としての本来の使い方もして下さい。
新しい日本語、形容詞の「みたい」の登場です!!
拍手!!!
「みたい」さんの意味としては、「似ている」という状態を表す言葉なのだと推測できますね。
それでは、形容詞の「みたい」さんの活用を考えてみましょうか。
双子の顔はみたかった。(意味:双子の顔は似ていた。)
双子の顔はみたかろう。(意味:双子の顔は似ていただろう。)
双子の顔はみたく、(意味:双子の顔は似ていて、)
双子の顔はみたい。(意味:双子の顔は似ている。)
双子の顔がみたい時、(意味:双子の顔は似ている時、)
双子の顔がみたければ、(意味:双子の顔は似ていれば)
あはは、どう考えても違いますねえ。
形容詞の「みたい」さんは、どうやら存在しない様です。
さようなら。
と考えると、「みたく」とは一体なんなのでしょう。
こう答える人も多くいます。
方言だと。
僕は、声を高らかに次の様に断言します。
「みたく」は方言ではありません。
たまたま、あなたが生まれ育った地方で、だれかが間違った使い方をして、それが広まったのです。
日本には様々な方言がありますが、僕が知る限りにおいて、その多くは語尾(主に助動詞や間投詞)の変化、音便化、イントネーションの違いであり、方言に於いても活用法が変わる事はありません。
「○○らしい」という形容詞を作る「接尾語」があります。これと同様に「みたく」という活用しない接尾語、あるいは助動詞と捉えるしか、あえて「みたく」を認める方法はありません。いくらなんでも、コレは無理ですね。「みたく」を使う「みたく族」のみなさん。頑張って、国語審議会に掛け合ってみて下さい。
【本日のお題その2・好きくない】
さて、「好きくない」に関して。
仮に「好きくない」をOKだとしましょう。「好きくない」。はい、コレは、「好きい」という形容詞の連用形+打ち消しの助動詞「ない」ですね。何も問題ありませんよね。僕は、好きいという形容詞を知りません。日本語に関して、とても不勉強な様です。
「好きい」。いい言葉です。おそらく、「好ましい」と意味が近いのかもしれません。好きであるという状態を表す形容詞ですね。
活用を考えてみます。
「好きかろう」
「好きかった」
「好きく(ない)」
「好きい」
「好きい(とき)」
「好きけれ(ば)」
あ。あ。あ。「好きかった」と言ってる人を二人ほど思い出してしまった。。。やばい。。。
終止形は「好き」ではなく「好きい」なんです。
『僕はこの曲が好きい。』『私には好きい人がいます。』
「好きくない」を使う方は、是非ともこれらの言い方も使って下さい。
【本日のお題その3・ちがくて】
「ちがくて」。。。地学て難しいよな。え、そんな話ではない?
「ちがう」というのは、何ともわかり辛い言葉。
普段使っている時には『AとBは違う』という様に状態を表す形容詞の様な感覚で使っている言葉ですが、
あくまでも「ちがう」は動詞です。漢字で書くと「違う」となり、これは「たがう」とも読みますが、ここから先は「違う」と書いて、全て「ちがい」と読んで下さい。
これも、どこかの誰かが形容詞とごちゃ混ぜにしてしまったのでしょう。
「違い」という言葉。動詞「違う」の連用形。もしくはこれに伴う名詞化された言葉。
この「違い」を形容詞と捉えてしまうと、この誤用が生まれます。
「違かった」と「違くて」。ところが、この人達、中途半端なんですよ。
どうせなら、
「違かろう」
「違かった」
「違く(ない)」
「違い」
「違い(とき)」
「違けれ(ば)」
全て使うんなら認めてやってもいいかも知れない(絶対にイヤだけど)
【まとめとして】
これらの言葉を使っている方全てにお伝えいたします。
何となく、便利な言葉だと言う気はしています。
言葉は生きているから、新しい言葉も生まれるんだと言う人もいます。
新語・造語・略語、色々ありますが、それらは、全て日本語の文法の基本の上に成り立っています。
ところが、今僕が問題にしている言葉達は、根本的にそれらの新語・造語・略語とは違うのです。
文法的に、どう考えてもおかしいのです。
方言として使っていたという論旨は、僕を納得させるに足りません。
言葉は伝播して行くものです。
一種独特な言い回し、イントネーション、語尾の変化、音便化、さまざまあります。
ですが、今日取りあげた言葉達は、そんな古くからある言葉ではないだろうと推測されます。
恐らく、近年、あなた方のふるさとにいた誰かが間違った使い方を提唱し、それが伝播して行ったものだと思います。
僕が尊敬している数少ない方のうちの一人が、「好きくない」と仰っていました。
僕は唖然として、その方に問い質すと、「流行ってるんでしょ?」と。
まさかあの人が、流行り言葉だろうと誤解して使っているとは驚きました。
そして、丁重に進言しました。二度と使わないで下さいと。
綺麗な日本語を話して下さいとか、そんなお上品な事を言ってるわけではないのです。
どう考えてもおかしい言葉を使って欲しくないのです。
間違いなくあちこちで馬鹿にされます。
頭悪いんじゃないの?って思われます。
その人の事を良く知っていればともかく、初めて会った人であったならば、
頭悪いんじゃないの?って思います。
その人の事を尊敬できなくなります。
僕にとっては、それぐらい重要な事柄なんです。
と同時に、ある意味ではどうでもいい事ですけどね。
これを読んで、日本語に関して少しでも考えて頂ければ幸せです。
まず、言葉の好き嫌いはそれぞれあると思います。好きか嫌いかは個人の好みという主観の問題なので、ここでは扱いません。また、辞書に載っているかどうかも、あまり関係ないという立場を取らせて頂きます。同時に、あまり使われない、と言う事も扱いません。あくまで、文法的に正しいかどうか、という事を問いかけたいのです。
例えば、「全然美味しい」という使い方をする人がいます。これは、「全然」+否定という、我々が長く親しんだ言葉とは違っています。しかしながら、副詞と形容詞の組み合わせなので、文法的にはおかしくありません。ちなみに、江戸時代より前には「全然」+肯定系は、よく使われていたそうです(伝聞)。
「良さげ」に付いては、普通の日本語だと認識しています。「何気に」は「何気なく」の誤用が一般化したモノだと考えますので、あまりおススメは出来ませんが、「何気ない」の語幹の名詞化されたものに、格助詞「に」が引っ付いて副詞化したと考えれば、問題ないとも言えます。
「とりま」なんて略語? あたしゃ知りませんw
【本日のお題その1・みたく】
「みたく」という新しい言葉を考えついたとすれば、それはそれで言葉の発展かもしれません。元は「みたいだ」という助動詞です。助動詞ですが、高校受験や大学受験の参考書や教科書の助動詞一覧には載っていません。「やがる」「べきだ」なんて助動詞も載っていませんので、教科書なんてそんなもんなんでしょう。
さて「みたいだ」ですが、言葉の活用形としては形容動詞と全く同じ活用をします。なので、「みたいだ」を形容動詞として捉えても問題ないかと思います。
この際、形容動詞と言う事にしておきます。
「みたいだろう」
「みたいだった」
「みたいで」
「みたいに」
「みたいだ」
「みたいな」
「みたいなら」
覚えてますか、この活用形。
ここに、「みたく」という新しい活用形を追加した人々がいるわけですね。素晴らしい。
日本語の素晴らしき進化の時が来たのです!!
ならば、「静かだ」という形容動詞を考えてみると・・・
「静かだろう」
「静かだった」
「静かで」
「静かに」
「静かだ」
「静かな」
「静かなら」
ココにも追加して下さいよ。
「静かく」ですか?
「静く」ですか?
できませんよね。
「みたく」という言葉を最初に使った人が誰だかは知りませんが、その人は、「みたい」という言葉を形容詞と勘違いしたのでしょう。
「正しかった」
「正しかろう」
「正しく」
「正しい」
「正しい」
「正しければ」
形容詞の連用形は「〜く」です。
「〜みたく」が形容詞の連体形として考えているのであれば、「〜みたく」は天晴です。大いに認めましょう。
その代わり、形容詞なら形容詞としての本来の使い方もして下さい。
新しい日本語、形容詞の「みたい」の登場です!!
拍手!!!
「みたい」さんの意味としては、「似ている」という状態を表す言葉なのだと推測できますね。
それでは、形容詞の「みたい」さんの活用を考えてみましょうか。
双子の顔はみたかった。(意味:双子の顔は似ていた。)
双子の顔はみたかろう。(意味:双子の顔は似ていただろう。)
双子の顔はみたく、(意味:双子の顔は似ていて、)
双子の顔はみたい。(意味:双子の顔は似ている。)
双子の顔がみたい時、(意味:双子の顔は似ている時、)
双子の顔がみたければ、(意味:双子の顔は似ていれば)
あはは、どう考えても違いますねえ。
形容詞の「みたい」さんは、どうやら存在しない様です。
さようなら。
と考えると、「みたく」とは一体なんなのでしょう。
こう答える人も多くいます。
方言だと。
僕は、声を高らかに次の様に断言します。
「みたく」は方言ではありません。
たまたま、あなたが生まれ育った地方で、だれかが間違った使い方をして、それが広まったのです。
日本には様々な方言がありますが、僕が知る限りにおいて、その多くは語尾(主に助動詞や間投詞)の変化、音便化、イントネーションの違いであり、方言に於いても活用法が変わる事はありません。
「○○らしい」という形容詞を作る「接尾語」があります。これと同様に「みたく」という活用しない接尾語、あるいは助動詞と捉えるしか、あえて「みたく」を認める方法はありません。いくらなんでも、コレは無理ですね。「みたく」を使う「みたく族」のみなさん。頑張って、国語審議会に掛け合ってみて下さい。
【本日のお題その2・好きくない】
さて、「好きくない」に関して。
仮に「好きくない」をOKだとしましょう。「好きくない」。はい、コレは、「好きい」という形容詞の連用形+打ち消しの助動詞「ない」ですね。何も問題ありませんよね。僕は、好きいという形容詞を知りません。日本語に関して、とても不勉強な様です。
「好きい」。いい言葉です。おそらく、「好ましい」と意味が近いのかもしれません。好きであるという状態を表す形容詞ですね。
活用を考えてみます。
「好きかろう」
「好きかった」
「好きく(ない)」
「好きい」
「好きい(とき)」
「好きけれ(ば)」
あ。あ。あ。「好きかった」と言ってる人を二人ほど思い出してしまった。。。やばい。。。
終止形は「好き」ではなく「好きい」なんです。
『僕はこの曲が好きい。』『私には好きい人がいます。』
「好きくない」を使う方は、是非ともこれらの言い方も使って下さい。
【本日のお題その3・ちがくて】
「ちがくて」。。。地学て難しいよな。え、そんな話ではない?
「ちがう」というのは、何ともわかり辛い言葉。
普段使っている時には『AとBは違う』という様に状態を表す形容詞の様な感覚で使っている言葉ですが、
あくまでも「ちがう」は動詞です。漢字で書くと「違う」となり、これは「たがう」とも読みますが、ここから先は「違う」と書いて、全て「ちがい」と読んで下さい。
これも、どこかの誰かが形容詞とごちゃ混ぜにしてしまったのでしょう。
「違い」という言葉。動詞「違う」の連用形。もしくはこれに伴う名詞化された言葉。
この「違い」を形容詞と捉えてしまうと、この誤用が生まれます。
「違かった」と「違くて」。ところが、この人達、中途半端なんですよ。
どうせなら、
「違かろう」
「違かった」
「違く(ない)」
「違い」
「違い(とき)」
「違けれ(ば)」
全て使うんなら認めてやってもいいかも知れない(絶対にイヤだけど)
【まとめとして】
これらの言葉を使っている方全てにお伝えいたします。
何となく、便利な言葉だと言う気はしています。
言葉は生きているから、新しい言葉も生まれるんだと言う人もいます。
新語・造語・略語、色々ありますが、それらは、全て日本語の文法の基本の上に成り立っています。
ところが、今僕が問題にしている言葉達は、根本的にそれらの新語・造語・略語とは違うのです。
文法的に、どう考えてもおかしいのです。
方言として使っていたという論旨は、僕を納得させるに足りません。
言葉は伝播して行くものです。
一種独特な言い回し、イントネーション、語尾の変化、音便化、さまざまあります。
ですが、今日取りあげた言葉達は、そんな古くからある言葉ではないだろうと推測されます。
恐らく、近年、あなた方のふるさとにいた誰かが間違った使い方を提唱し、それが伝播して行ったものだと思います。
僕が尊敬している数少ない方のうちの一人が、「好きくない」と仰っていました。
僕は唖然として、その方に問い質すと、「流行ってるんでしょ?」と。
まさかあの人が、流行り言葉だろうと誤解して使っているとは驚きました。
そして、丁重に進言しました。二度と使わないで下さいと。
綺麗な日本語を話して下さいとか、そんなお上品な事を言ってるわけではないのです。
どう考えてもおかしい言葉を使って欲しくないのです。
間違いなくあちこちで馬鹿にされます。
頭悪いんじゃないの?って思われます。
その人の事を良く知っていればともかく、初めて会った人であったならば、
頭悪いんじゃないの?って思います。
その人の事を尊敬できなくなります。
僕にとっては、それぐらい重要な事柄なんです。
と同時に、ある意味ではどうでもいい事ですけどね。
これを読んで、日本語に関して少しでも考えて頂ければ幸せです。